第九話・雑務が続く

今日は朝から気が重たかったが、それでも出勤しなければならなかった。夜逃げなどをしない限り、一応は責任を果たすことができる。あと少しの辛抱であることはわかっているのだが、それでも気は重たい。

飯を食って事務所に向かう。朝、8時30分頃だった。事務所には常務がすでに出勤していた。常務はいつもと変わらない様子であった。少なくとも、昨日よりは顔の表情がいくぶんよくなっているように思われた。こんな風に上司の顔色を観察するというのは、実に馬鹿馬鹿しいことである。

私は常務に命じられたとおり、冷蔵庫のチェックを普段通り行なった。この作業が一番気楽である。真面目にチェックしなくても、いちおう仕事をするフリさえしていればいいからだ。だが、体が冷える仕事ではあった。冷蔵庫はそれぞれの宴会場のそばにあって、暖房が効いていないところがほとんどだったからだ。それでも、誰もいない空間で一人、もくもくとチェック作業に没頭する時間は、私にとって大変貴重であった。

冷蔵庫をチェックし終わると、今度は硬貨を数える仕事を命じられた。1円玉、5円玉、10円玉、50円玉、100円玉、500円玉をそれぞれ、20個と50個の束にしていく作業である。単純作業である。こういうのが一番気楽である。おまけに、社長室のすみで作業するように命じられたので、電話番をする必要がなかった。これも気楽さのひとつの要因であった。もくもくと硬貨を数える。「イチ、ニー、サン、シー、ゴー、、、」、丹念にやっていった。

午後になっても、硬貨を数える作業は続いた。ここで私は生まれて初めて、硬貨をカウントする機械を使った。この機械が何と言う名前であるか私は知らない。機械のてっぺんが広いじょうごのような形をしていて、そのじょうごに硬貨をジャラジャラといれると、機械が勝手にカウントしてくれる。便利であった。おそらく、金融機関などに勤めている人にとってはおなじみのものかもしれない。コインを入れすぎると機械の中でコインがつまってしまうこともあった。何事にもコツがいるようである。
今度は封筒への宛名書きであった。このときは他の人々がそばにいた。私の左に常務が座っていて、右には肥満気味の男と、どもりのある同期の男が座っていた。常務は作業中に、私の気を紛らわせようとしたのか話かけてきた。

「前に一緒に話したけど、、、君はもうちょっと明るく考えたほうがいいんだと思うよ。」
「そうですか、、、。」
「否定的に考えちゃいけないよ。自分はできるって思わなきゃ。もしかしたら、ノイローゼ気味なんじゃないかと思う。いまはうつ病っていうけどね、昔はノイローゼって言ったんだ。そういうときは自分の考えていることを紙に書き出してみるといいよ。」
「はい、、、。」

私は何か話題を提供してみるのもいいかなと思い、こんなことを言ってみた。

「常務は外の世界で頑張ってこられて、すごいですね。」
「別にすごくなんかないよ。今日の仕事もね、君、朝から冷蔵庫のチェックやって、それから今の今まで色々やって、もう4時半だよ。もうちょっとスピードをはやくしてやんないとね。今日はもうあがっていいから。明日から三連休でしょ? 気分リフレッシュしてお願いしますね。」
「わかりました。お疲れ様でした。」

やっぱり、この人にもわからなかったか、、、という落胆でいっぱいだった。なぜ、人は人を分類したがるのか。暗い顔をしていれば暗い人であり、ノイローゼだとか、うつ病だとか、そういった一般的な分類で人を区別したがる。ノイローゼだろうと、うつ病だろうと何でもいいけれども、そうした一般化によって、人間を区別して彼らは安心するのだろうか。

そうなのだ。彼らは人間にレッテルを貼ることで安心したがるのである。レッテルを貼らないと不安で仕方がないのだ。そして、物事にはすべて解決法があると考えて、安直に、「紙に書けばすべて解決する」などという愚かしげなアイディアを提示してみせる。あまりに愚かしげであったが、私は笑う気にもなれなかった。常務は本気でその解決法を信じているように思われた。

もう何も未練は無かった。私の隣に座っていた肥満気味の男は、サシで話をすれば少しは話のわかりそうなやつであったが、彼は会社の犬になることで自分の居場所を確保しているタイプであった。諧謔の精神も少しはもっているように見えたのだが、彼はそういうことは公にしないタイプであった。どもりぎみの同期の男は、私が辞めることを公言したあと、徐々にフェードアウトしていった。辞めていく人間と仲良くするのは自分にとって不利益であると感じたのだろう。どもりぎみの男も、このホテルのムラ社会にきちんと適応しているようには見えなかったけれど、それでも、最初は私と一緒に行動することが多かった。残念なことである。彼には人間に必要な本質的な勇気というものが、備わっていないのかもしれない。その勇気とは簡単なことである。たとえば、従業員食堂において、ほかの社員が大勢いてワイワイやっているところで、一人ぽつんと飯を食っているやつがいるとする。そいつが自分の仲間だったら、まわりの連中など気にせずに話しかけて一緒に飯を食えばいいわけである。そういうのが本当の勇気だと思う。

私はその同期の男に対して、駄目を共有しあい、心の中で軽蔑しつつも、きちんと仲間として認めたのだ。それなのに向こうは周りの目を気にして、私を避ける始末なのだ。何という恩知らずであろうか。まあ、人間というものは多かれ少なかれ、恩知らずな生き物である。そして、他人に対して潔い勇気というものを期待しても無駄である。ごくたまに、それは男女に限らないことだが、勇気をもった人間に出会うことがある。ムラ社会の監視の目などものともせずに、自分の目で真実を直視する態度をとる人がいるものだ。ほとんどの人間というのは、弱い人間とつるんでいたら、自分自身も集団から排除されてしまうということを経験で、あるいは本能的に知っているものだ。

こうして私は飯の時間さえも、安心して息をつけなくなっていった。明日から三連休であるが、なるべく人目を避けて行動しなければならないと感じている。きゃっ、きゃっ!と笑いさざめく声が聞こえたら、すぐに立ち去らなければならない。といっても、三度の飯を食ったり、風呂に入ったりするには勤務先のホテルに行かなければならないから、そういうときは時間帯に注意しなければならないと肝に銘じなければならなかった。

いつまでこんな滑稽な一人芝居を演じ続けなければならないのかと甚だ呆れ返るものである。猿芝居、田舎芝居のほうがまだ演出が巧みであるかもしれない。私が頭の中で考えていることなど、ムラの連中にとってはどうでもいいことであり、また、私の観念は彼らの現実世界で木っ端微塵に粉砕されてしまうのだ。彼らは仲の良い者同士で和気藹々とやればいいし、それが男女の間であったとして、波長があえば一発でも二発でもやればいいと考える。何しろ、性欲を持て余している二十代の若者たちである。二発程度では満足しないかもしれぬ。オールナイトで十発くらいやらないことには安心して眠りにつけないかもしれない。

やれやれ。まだ勤務が終わらない。家に帰るまであと二週間はかかりそうだ。