少し暖かくなってきた。もう3月17日である。さすがに3月も半ばを過ぎるとこの寒い地方でも、寒さがだいぶ和らぐようである。寒いのは大いに苦手である。朝起きて歯を磨いて顔を洗う作業が億劫である。洗面所からはお湯が出なかった。毎朝の洗顔にいちいち気合が要るのである。
いまは五日間の勤務が終わって、寮の部屋でこれを書いている。五日間のうち、夜の勤務の終わった時間は正直、何もする気が起きなかった。ボーっとテレビを見る、本を眺める、くらいのことしかできないくらい身体が疲れきっていた。ある夜など金縛りにあった。身動きができなくなり自分は夢を見ていて金縛りにあっているのだという意識ははっきりしていたが、どうすることもできなかった。余程、疲れていたに違いない。「金縛りにあった」という話題は会社の同僚と話すのに適当な話題であろうと思われたが、それを報告する相手はほとんどいなかった。ただ一人、同期のどもりのある男にだけそれを伝えた。
さて何を書こうか。もうあまり真新しいことはありそうになかった。たいていのことは書いたと思うし、従業員食堂の飯のメニューにしても、どうやら一巡したようで、新しいメニューを食べた記憶はない。リゾバの休日というのはヒマなのである。田舎の素晴らしい自然はあっても、そんなものは三日もすれば飽きるものである。会社の人たちは、車を持っていれば近隣の都市に出かけているようであった。
私はたった一人きりで、休日を消化するより仕方なかった。今日の朝は昼の1時過ぎに起きた。2連休なので、衣類の洗濯は明日やろうと思った。3時に楽しみにしていた昼の再放送のドラマを見る予定であったが、もうドラマは終わっていた。さびしい限りである。これではもう休日の楽しみの9割が失われてしまったようなものではないか。仕方なしに、だらだらとミヤネ屋を見る。面白いともつまらないとも思わない。だが、高田純二がタクシーに乗って観光案内をするコーナーだけは面白いと感じた。永遠にそれを眺めていたいと思ったが、そのコーナーもすぐに終わってしまった。
この五日間にあった雑感を記録することにする。私は3月の23日には退職する予定であった。本当はもっと早くに退職したかったのだが、派遣先のホテルから、「どうしても23日まで続けてくれ!」と言われたので、それに従ったのである。その23日という日付も曖昧であった。もしかしたら、23日が過ぎても、私はここに居残ることになるかもしれぬ。仕事にも適応せず、また友人もできず、あまつさえ、一発をすることもできず、、、このような状態で会社にいるというのは、ものすごく過酷なことである。
五日間のうちには、ホテル内の倉庫の片付けという肉体労働があった。倉庫兼ゴミ箱のような場所であった。要らないモノも要るモノも、何でもとりあえずとっておきたいというのは、人間の普遍的な感情らしい。いや、中にはゴミを整理するときに、すぐさま、潔くポイポイ捨てていってしまう人もいるかもしれない。だが、ここにはたくさんの不用品がいっぱいであった。その不用品、ゴミの類を燃えるゴミと燃えないゴミに分別して、袋に詰めて、整理していくという仕事だった。ゴミは結構な重量があった。それに、倉庫はホコリだらけだったので着ていたスーツも相当汚れただろう。家に帰ったらクリーニングに出さなければならぬ。こんな作業をするのであれば、最初から私服で来たかったものだと思った。作業をしていてなかなか時間が過ぎていかなかった。すべての作業を終わらして、掃除機もかけて、やっとのことで仕事を終えた。夜の六時近かった。
あと五日間で主にやっていた仕事というのは、ホテルの一年分の「手洗いチェック表」というのを作成する仕事であった。単純作業であった。超がつく簡単な仕事であったが、これは時間の過ぎるのがものすごくゆっくりに感じられた。人間というのは時間に追われて忙しくしていたほうが、時間の流れを早く感じるようである。
ほかには電話応対があった。私は幾度か周囲にいた上司から、電話の応対について厳しくチェックされた。声が小さいという。やれやれ、どこの会社に行ってもこのことはチェックされる。実際、私は電話の声が小さいなどとは、自分では思っていない。自分の発言が、電話の相手によって聞き返されることなどまずもって皆無である。電話セールスのように、馬鹿でかい声で話す必要も無いだろう。
どうも、新人に対して、「電話の声を大きくしろ!」というのは、上司たちにとっては、格好の叱責の材料なのではないかという気がしている。受電のやり方というのは人それぞれである。そして、半年、一年なりたてば、電話の声がいくら小さかろうが、ぼそぼそしゃべろうが、上司は部下を注意することもなくなるはずだ。というのは、私の先輩だった社員が、彼はホテルに一年四ヶ月勤めていたのだが、電話はボソボソ喋るし、声も小さかった。それでも、彼は誰からも注意されていなかったである!
上司たちのほうも、「怒る部下」と「怒らない部下」を明確に分けているようである。その辺はかなり恣意的であるように見えた。課長は自分の部下に対して、大声で怒鳴り、威圧し、年上だろうが年下だろうが関係なく、また、相手の尊厳などほとんど尊重しない調子で、何かあればいつも叱り付けていた。だが、よく観察していると、部下の中には課長からまったく怒られない者たちがいた。わかりやすいエコヒイキというやつであった。なるほど、人間であるからエコヒイキしたくなる気持ちも分からないでもない。だが、私はどうやら課長からあまりよく思われていないということは肌身で感じていた。そして、家族経営でやっているホテルである。経営陣は家族であり、その下に血縁関係の無い支配人や課長がいた。私はここで働き続けるのであれば、いやがうえにもその課長の下で働くことになり、業務上も課長と接触する機会が多かった。
課長の人となりというのは、あまりよく知らない。もちろん、2、3週間ほどの観察で、誰かについてそのすべてを分析できるなどとは、私は断言しない。だが、最初私がこのホテルに来たとき、その課長はどうやら私が派遣されてきたことを知らなかったらしく、私がきてからようやくそのことを知ったようで、それについて課長は、「オレ、聞いてないよ!」と笑顔で言った。その発言と喋り方というのが、ああ、こいつは結構、面倒くさそうなやつだなあという感じがしたのである。
実際、課長は面倒くさい人間であった。仕事について質問をすれば、きちんと教えてはくれるのだけれど、いちいち、その教え方にトゲがあるのであった。怒鳴り声を交えながら、「そんなこと常識で考えろ!」と言って威圧してくるのだった。こんな人間の下にいては、一分一秒たりとも気が抜けないものだと思ったのだ。なるべく、課長には仕事の質問をしないようにしなければならないと思い、実際に質問も言葉を発することも控えるようにしていた。
また、課長はぶりっ子のような声を出す人間でもあった。体格もよく、マッチョな風貌の男だったが、それにもかかわらずぶりっ子のような声を出すのだ。まあ、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというものであって、人間というのはすべての人間を公平に見て、公平に接するなどということは、無理な話なのである。
そして、私はホテル業そのものにもあまり関心がなくなっていた。なぜ、私がこの仕事をするのか?という、ごく当たり前の疑問が湧いてきてしまったのだ。この数字を計算することが、世界の飢餓や貧困を解決することに直接的なつながりが無いということくらいはわかっていたけれども、疑問が湧いてくるともう駄目である。
専務であった女将は、以前、私に、「あなたは馬鹿なんだから!」と暴言を吐いたものであった。派遣会社にそのことを告げると、多少なりとも女将の暴言は収まったように見えたが、ここにきて再発し始めた。だが、とにかく退職の日まで、ここを去る日まで何があっても耐えなければならないと思った。
そうこうしているうちに、一応、あと三日間で勤務が終わる。おかしなことに、何の未練も無い。人間的な縁であるとか、この土地そのものに対する哀愁であるとか、そういうことも一切、感じられない。やはり、私は南の暖かい気候の土地のほうが、自分の性分に合っているようである。そして、会社員であればエンドレスに続けなければならない仕事というものを真剣に考えたときに、ここにとどまるのはよろしくないであろうという結論に達したのだ。ここにはロマンが無い。性的放縦も無い。すべてを投げ打って惑溺できる快楽が無い。そして、ここにいる人々は私とは正反対の価値観を持って生きている。