第三話・勤務初日

初日の勤務がやっと終わった、、、。疲れ果ててもう頭が爆発する寸前である。どのように書けばこの疲れが伝わるかどうかというのが、不明である。無理もないかもしれない。一年ほども労働から離れていたのだ。1日に8時間の労働をするというのがこれほどまでに肉体と精神を疲れさせるものだということを私は忘れていたのだ。

仕事をしながら、何度となく、「もう辞めてしまおうか」と考えた。頭の中で、もうあとは辞意を表明するのみだ!というところまできたが、なんとか思いとどまった。本当に試練のときであると思った。

今日は朝から宴会場の飲み物の在庫の確認の仕事を教えられた。仕事そのものはいたって簡単そうに見える。飲み物を種類ごとに数えて、記録をつけていくだけの仕事だ。だが、宴会場は6箇所もあったので、そのすべての場所を覚えなければならなかったのだ。

自慢じゃないが私はかなりの方向音痴である。地図があれば見知らぬ土地でも何とか歩けないことはないのだが、地図がないとなるともうお手上げである。ホテルの内部は構造がかなり分かりにくかった。とりあえず、事務所と食堂、そして風呂場の位置だけは覚えたつもりであったが、風呂場に行ったあとに、玄関に戻る途中に道に迷ってしまうのだ。余程、注意して目印を覚えていないと何度も間違えることになりそうだ。

そんなわけで、午前中はその飲み物のチェック作業に追われ、そのあと、午後からはパソコンに向かって伝票のチェックをする仕事があった。伝票を見るのはかなり久しぶりのことであった。前に事務職を少しだけやったこともあって、伝票を見るのが生まれて初めてということはないが、私は自分のデスクに置いてある伝票の数字が、果たして何を意味するのかまったく理解できないでいた。上司に指示されたとおりに、伝票の数字をパソコンのエクセルに打ち込んでいった。

エクセル。これも厄介な代物である。表の中になにやらわけのわからない数字が並んでいる。エクセルも苦手だ。(私は苦手なことばかりなような気がするが、それでも、ここでは真実を伝えなければならないと思っている。)以前勤めていた営業会社において上司から、「エクセルは仕事の基本だ」ということを諭された。エクセル関連の仕事を与えられると、私はついついエクセルの表を滅茶苦茶に壊してしまうのだ。エクセルにはアートが無いと思う。エクセルにアートが入り込む余地があれば、少しはやる気にもなるのだが、残念ながらエクセルにはアートがない、物語がない、ロマンスがない。無軌道な性的放縦も、甘美な夢も無い。ただの数字と表である。

「君のエクセルにはアートが無いねぇ。もうちょっとヒップでポップでアーティスティックなエクセルにできないもんだろうか」などと諭す上司がいたら、いや、そんな軽口、ナンセンスを許す会社組織があったら、私は入りたいものである。

あと、とまどったのは電話の応対である。事務職の電話の応対、これは私にとってかなりヘビーな課題であった。そして、今日は勤務初日であったし、いくらなんでも初日から電話をとることはないだろうと、たかをくくっていた。私は座ってのんびりとマイペースでパソコンをいじっていたのだが、午後も2時過ぎになって、「さあて、そろそろ電話をとってもらおうか!」という上司のお呼びがかかった。

「おいでなすったぞ!」と私は身構えたが、はっきりいって戸惑ってばかりもいられない。「電話は苦手なんです」なんていう言い訳はどうやら通用しそうに無かった。会社の電話を受けると、頭がパニックになることがあるのだ。俗にいう「てんぱる」というやつである。そして、オロオロしているうちに、電話の向こうの相手を怒らせたりすることもある。

反対に、発信のほうは私にはあまり抵抗がなかった。というのも、昔、電話を使ったダイレクトセールスをやったことがあるからだ。一日に何百件ものコールをするのだけれども、これはやったことが無い人にはおそらく勇気のいることかもしれないが、慣れてくると、どんどん威勢がよくなり、見知らぬ他人にいきなり電話をかけてアプローチをしていくことが苦になくなっていく。

私はエイヤ!と飛び込む感じで、かかってきた電話をとった。5件ほどとったところで上司たちの罵声が飛ぶ。「もっと明るい声で! 1オクターブ高い声でやってごらん。お客さんは温泉に入るの楽しみにしてるんだからね。練習してみて。はい、、、。駄目、まだ声が低い、ボソボソ喋ったら相手に伝わんないからね!」

はあ、疲れたな、、、。私は早くもかなり意気消沈していたのだ。それでも何でも電話を受信することを早くマスターしなければならない。私は必死だった。

勤務中に、たまたま上役の電話で話す声が耳に入った。それはこんな内容だ。
「うちは馬鹿はいらないんだよ。頭の良いやつが欲しい。学校出てないやつは馬鹿なんだよ、要領が悪いんだ。真面目だとかそんなのはいいんだよ。とにかく頭の良いやつだよ。」
おそらく、採用の仕事をしている人だったのだろう。「馬鹿はいらない」、身もフタもない言い方である。うーむ、疲れてしまう。まさに職場は生存競争の場なのだという考えを新たにした。彼らにとってみれば、職場というのは戦争なのだろう。日本において実際的な戦争の危機というのはとりあえずは当面、心配が無いとして、、、象徴的な、シンボルとしての戦争は残っている。それが職場なのだ。職場のストレスで、メンタル的な健康を害する人がいたとしても、それは少しもおかしくないことだと考える。人の心を傷つけるのには、言葉や態度だけで十分なのだということを強く感じる。
それでも私はこらえていた。こらえなければならないと思った。

今日も何人かの新しい人の名前を覚えなければならなかったが、やはり、聞いた端から忘れていってしまうことが多かった。職場では出来るだけ早く人の名前やら、取引先の会社名を覚えたほうがいいに決まっている。しかし、すぐ忘れる。それはどうしたことだろうか。
海外を旅していて、たとえば安宿で知り合った旅人の名前は、一度知ったら、そう簡単には忘れない。外国人の場合でもそうである。一度、自己紹介をしたら、かなりの確率で覚えている。
だが、職場だと忘れてしまうのだ。大切な上司の名前などもいとも簡単に忘れてしまう。要するに、私が会社組織の人々に対して、あまり興味をもっていないということだと思う。会社の仕事は一人でやっているのではないから、一人一人の名前を覚えるのは当然なのだ。それはわかっている。だが、どうしても興味が湧かない。相手が好みのかわいい子、極上美人とかだったら、名前を聞いたらはやく覚えるけれども、会社の男たちの名前など、「どうでもいいんじゃないの?」と思えてきてしまうのだ。

しかし、会社においては、名前を早く覚える人間、名前を間違えない人間というのは好印象にうつるだろう。なぜなら、誰でも自分のことに興味を持って欲しいという絶大なる欲望を内に秘めているからである。外見上からはどんなにエゴが微塵も感じられないような人間であっても、「興味をもってほしい」という欲望はつねに抱いているものである。だが、簡単には人は自分に興味をもってくれないし、ちょっと頑張ったくらいでは評価もしてくれない。だから、名前で相手に話しかけたりするというのは、逆に効果的なのだ。

寮の部屋のドアを開けたら、昨日よりは部屋の汚さが目に付かなかった。こんなもんだろうと思った。慣れというものは恐ろしいものである。人間の適応能力というのは本人が考えているよりもすぐれているものなのだろう。

私は束縛されるのが大嫌いな人間だ。自由がすべてであると思っている。自由を得るためならどんなことをしても構わないとさえ思う。

だが、そんなのは大抵、みんな同じであろう。誰もが自由を欲している。束縛から逃れたいと思う。組織の歯車にはなりたくないと感じている。理不尽は許せないと思う。
それでも、多くの人は成長の過程の中で、世間との折り合いをつけていくのであろう。その折り合いの付け方は人それぞれである。

私はいくら年齢を重ねても、いわゆる通常の意味での「丸くなる」というやつにはなりそうもない。表面上は従順を装っていても、心の奥のほうでぺロっと舌を出している自分がいる。

会社で周囲に認められること、努力が給与に反映されること、そして、家庭をもって一国一城の主になること、そんなことをあまり意識したことがなかった。会社のみんなはそれぞれに人生があり、夢があり、あるいは扶養する家族もいるに違いない。私には想像もつかないことだ。私には今はタイのビーチで、あの砂浜でのんびりと日光浴をし、体が熱くなったら海に入り、きままに泳ぐ。そして、フルーツジュースを飲む。スイカのシェークもうまい。そんな生活だ。そんな生活しか頭に無い。
たまにはマッサージ屋へ行くこともある。そして、タイの女たちのあの天真爛漫で、熱帯的なお色気というものに悩殺されて、翻弄されることもしばしばである。馬鹿馬鹿しいことこの上ないと思われるかもしれないが、仕方が無い。これが私にとっての楽園の定義なのだ。地上にもし楽園があるとしたら南の国にある。それもとてつもなく暑い国のほうがいい。暑い国の人たちというのは、カラッとしている。怒ったとしても、すぐに忘れる性格の持ち主が多い。反対に、寒い国の人は取り扱いが難しい。社会も複雑さを極めている。寒い国の複雑さに知的な面白みを感じることもあるが、それでも暑い国の単純さは捨てがたい魅力としてうつる。単純さというのは、人間を魅了してやまないのだ。すなわち、美味い、楽しい、気持ちいい、、、そういう幸福を真に追求するにはやはり、暑い国しかない。